ヨーロッパのヘアスタイル

日本髪の結髪技術も素晴らしいものであったが、ヨーロッパに於いて、1770年代は結髪師の黄金時代といわれ、長い髪を髷や巻き毛に結いあげ、大量のつけ毛、詰め物、髪飾りで満艦飾にして、女性が結いあげた髪の高さは顔の2~3倍のボリュームを占めていたそうです。
結いあげた髪はしばらくはそのままの状態が続くため、日々の手入れは自分ではできなくてプロフェッショナルとして結髪師が必要とされ、「結髪師の黄金時代」が到来しました。
ルイ15世時代、最も有名だった結髪師「ル・グロ」は男爵家の料理人から結髪師になり、著名な貴婦人の髪を専門に結い、フランスの結髪技術についての著書も残しています。
結髪師のなかでも一番有名なのが、ルイ16世の妻マリーアントワネットの結髪を担当していた「レオナール」です。
1773年、彗星が地球に接近した年にレオナールは「彗星風」というヘアスタイルをマリーアントワネットに施しました。
彼女は大喜びで宮殿の劇場でお披露目をしたところ、
「彗星風」は驚異的な流行となったそうです。
1770年代、結髪師と服飾小間物商との共同作業で、ヘアスタイルはますますエスカレートし大きく派手に飾られ、ボンネット、リボン、シャポ-、ジュエリー、造花、羽根、果物、花、野菜、人形、自分の好みや趣味の物、何でものせていました。
・「フリゲート艦ユノ」アメリカの独立戦争にからんだもので、帆船のミニチュアがのせられている。
・「バンカーヒル」ボストンの戦場となった丘の名前で要塞も作られている。
・「イギリス庭園風」庭園に木、草、花、をあしらったもの。
・「ハリネズミ」大きく結い上げたてっぺんに逆毛をたててハリネズミの棘を表現したもの。
大きなヘアスタイルのため馬車に乗れなくて、椅子をはずして床にすわり窓から頭を出して外出をしていたというエピソードも実際にあったそうです。
マリーアントワネットが第二子出産後薄毛になり、高いヘアスタイルを結い上げるには髪の毛が少ないと判断をした結髪師レオナールは、若く見えて子供らしさ、可愛らしさへと巧みな論理のすりかえをし、またまた大変よろこばれたそうです。
この頃より高さは低くなったものの、ボリュームのあるヘアスタイルは相変わらず流行をしていました。
1789年フランス革命を機に頭の上の構築物はなくなり、古代ギリシャやローマを手本にした古典的なヘアスタイルが新しい時代の最新モードーとなってきました。
しかし、1820~30年代、18世紀とは形の異なるもので、再び高く結い上げるヘアスタイルが流行し、この頃活躍したのが有名な結髪師「クロワザ」でした。
彼は結髪アカデミーを開校して結髪師の質の向上に取り組んだフランス結髪界のリーダー的存在だったそうです。
1840年頃衣装の簡素化とともに、結髪師の助けを借りなくても自分だけで、あるいはメイドがいれば髪を結えるようになってきました。
1870年代にマルセールウェーブという新しいウェーブ技術が開発され、ウェーブのかかった長い髪を結い上げるスタイルは依然として女らしさの象徴だったようです。
第一次世界大戦後、働く女性が増えて活動しやすいヘアスタイルが求められるようになりショートヘアの先駆けの「ボブスタイル」が流行し始めました。
1920年代以降パーマやカットに代表される新しい技術へと変わって、世界中に広がっていきました。
今や、ヘスタイルは何の規制もなく"ヘアスタイル=マイスタイル"で自由に楽しむことができ、女性にとっては喜ばしい時代になっています。