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日本髪の歴史

毛髪のダメージと原因

アメリカの文化人類学者グラント・マクラッケンは、髪を自己探求の道具とみなし、
「自己を変容させるテクノロジーとして積極的に評価する」と言っています。
最も身近にある髪の毛によって新しい自分を見出したり、
発見したりして長いヘアスタイルの歴史がつくられてきています。
美容師・ヘアデザイナーという職業はこの自己発見をサポートする重要な役割をはたしていると考えます。

日本のヘアスタイルを見ても、1600年頃まではヘアスタイルは「おすべらかし」いわゆるロングヘアスタイルだったわけです。
女性が日本髪を結い始めたのは江戸時代の初め頃からで、かの有名な「出雲の阿国」が方々の神社で神楽舞や念仏踊りを舞っていたが、趣向をこらし女歌舞伎踊りをあみ出しました。

「出雲の阿国」は男装の踊り手だったため、髪も男のように髷(若衆髷)に結ったのが日本髪の始まりでした。まさに日本髪の先駆者だったわけです。
さらに芸にみがきをかけた阿国は、諸大名や将軍家、さらに宮中にも招かれるようになり、
徳川家康にも大変気に入られたとのことです。
そして遊女などの間で、この若集髷が大人気となり女性の髷の始まりとなりました。

■ 摂津の遊女から始まった【兵庫髷(ひょうごまげ)】。
■ 江戸吉原の遊女から広まった【勝山髷(かつやままげ)】。
■ 京都島原のおいらんが結った【横兵庫(よこひょうご)】あんみつ姫の髷。
■ 江戸後期、御殿女中や武家の妻が結った【椎茸髷(しいたけたぼ)】。
■ 商家や庶民の奥方が結った【櫛巻き髷(くしまきまげ)】。
■ おいらんや太夫といった遊女が結った【横兵庫髷(よこひょうごまげ)】。
■ 明治になって働く女性に広がった【銀杏返し(いちょうがえし)】。
■ 大正になって最も上品な髷とされ、上流階級の女性が結った【高島田(たかしまだ)】。

現在でも花嫁の結っている日本髪はこの"文金高島田"です。
実際には、髷の種類は200種類もあったといわれています。


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